NPO法人 日本アレルギー友の会

アトピー性皮膚炎体験記:アトピー性皮膚炎を最小限に制御する生き方

2013年7月20日

 埼玉県 TA(26歳) 

現在まで生きて行く中で、病気が常に付きまとっていました。今回、一人でも多くの同じ症状を抱える患者の方々のお役に立てればと思い、執筆させて頂きました。 

 

☆中学生のアトピー性皮膚炎発症

小学生の頃は、鼻炎アレルギーと肌が弱い為、少々のかゆみが出る事があったものの、近くの病院へ通って事足りる位であり、アトピー性皮膚炎という状態にまでは至っていませんでした。
変化が出たのが、中学に入ってからでした。この頃から身体の変化と共に、かゆみと引っかき傷が目立つようになりました。地元で評判の良い皮膚科に通う様になり、初めてアトピー性皮膚炎と診断されて、本格的な治療が始まりました。当時、登場して間もない“プロトピック軟膏”を処方されました。ただ、プロトピックは初期の副作用が続き、思うように改善が見られず長続きしませんでした。
当時、野球部に所属していましたが、化学繊維のユニフォームは、服の上からかくと、一発でかきむしった様な状態になる事もありました。
地元の皮膚科で改善する見込みが無く、今度は別の知り合いの情報から市立病院へ通い始めました。ステロイド薬を一部処方して様子を見る事になりました。ここで血液検査を行いIgEが高い事を知り、特に数値が高かったのがダニ・ハウスダストでした。それからは、布団から下着に至るまで、洗剤を市販の物から、肌に優しいタイプの洗剤へ切り替え、掃除の回数を増やすなど、清潔な状態を徹底する様になりました。

民間療法の旅

起床時は布団のチェックから始まります。
枕やシーツに血がついていないか、フケが溜まっていないか。そして予想以上に血やフケがあると
「なんじゃこりゃー」と内心で叫びます。そのままでは布団を畳めないので、シーツと枕カバーに付いたフケ、髪の毛をバルコニーに出て払い落とすのが日課でした。
春は花粉が顔を襲い、夏はエアコンが必須アイテム、秋は辛うじて症状が軽くなり、冬は乾燥・・。この無限ループの繰り返しでした。
高校に進学し、1年生で必修の武道が柔道だった為、激しい動きで白い柔道着の裏側には血が目立ちました。
ジュクジュクした傷も広範囲に広がり、気分も落ち込みました。顔の乾燥も目立ち始め、毎日薬を携行していましたが、塗ってもすぐに効果が切れる為、精神的にも疲弊して行きました。肌の状態に波がある為、回復している時期は大丈夫でも、一度悪化すると「なぜこんな目に・・」と、気分が落ち込み、そして更に傷を増やす、まさに負の悪循環でした。
総合病院でも、症状が落ち着かない状態にしびれを切らし、同じく皮膚炎を持つ知り合いのから“症状が良くなった”との評判を聞き、今度は遠く新横浜へ通い始めました。脱ステロイドを掲げ、併せて一部の食事制限も謳っていた為、一部食事制限を数年間続けました。たまに「普通のカレーが食いたい・・・」とボヤきつつも確かに改善した様な感じになりました。ですが“改善はするが、決定打では無い”と言った中途半端な感じでした。高校では、昔から夢にしていた鉄道運転士になる為、私鉄への就職を目指していましたが、惨敗に終わり専門学校へ進学します。
 

☆こんなの絶対おかしいよ!

 
遠く新横浜まで通っても、食事制限を行っても改善する気配が無い状態に、またもしびれを切らし、“脱ステロイド”も実はステロイド剤を使用していた為、不信感から新たな病院を探し始めました。
またも知り合いの患者情報からの評判を元に今度は都内の病院へ通い始めました。ここでは独自の軟膏と内服のステロイド剤が使われていました。
この軟膏の難点は、下着のシャツが短期間でダメになる事でした。下着を頻繁に買い替え、軟膏には健康保険がきかないので、ピーク時には一ヶ月の費用が万単位になる事が多々ありました。
ここでも薬の効果が長続きしなかった為、今度は漢方薬を飲用し始めました。数年間で煮出して飲むタイプと粉末タイプの両方を経験しましたが、いずれも効果は長続きしませんでした。
どこの皮膚科も患者から“効果があった”と言う実体験を元に、ステロイド剤は極力使わない、というスタンスの皮膚科で10年近く皮膚炎の治療をしてきましたが、多くの労力と時間と費用がかかったものの、効果は続きませんでした。
体調や季節などで肌の状態に波があり、良い時の状態が短くなり、悪化した状態が長期化し、更に悪化するという悪循環に陥って行きました。
一番悪化した時には、ひっかき傷と乾燥で傷だらけの胴体に、サラシ(包帯)を巻いていました。「願いが叶うのなら、金だって、何だってする。こんなズタボロの身体を健康な身体と交換したい」半ば自棄になり、全身に出来た傷の痛みに、ひたすら耐え続けながら、薬を塗り続けました。
 

☆ステロイド薬の正しい情報はどれだ?

 
専門学校から再び、私鉄への就職を目指したものの再び惨敗に終わり、随分と葛藤がありましたが、希望の範囲を広げて就職活動を続けた結果、幸い大手メーカー系の技術職で内定を頂きました。
就職してからは主に、通信機器の施工・保守などを行っています。
一度は散った鉄道運転士の夢も、一般人でも本物の車両を運転出来る場所がある事を知り、入社して初めての休日で参加しました。短距離ですが、初めて自らの手で車両を動かした時、全身に伝わる振動に“本物でしか得られない感動”に浸りました。この時ばかりは、皮膚炎の辛さも忘れ、一番幸せな瞬間でした。今思えば、アトピー性皮膚炎を抱えたまま超不規則勤務で無理を通せば、数年で破綻して会社も自分も不幸になるから仕方なかった、と割り切っています。
入社して数ヵ月後、全身のかゆみから不眠状態になりました。環境の変化からか、一向に状態が改善する様子が見られず、仕事にも影響が及ぶ前に、ワラにもすがる思いで、「今度こそは」と、親と親交のある医師から東京逓信病院の江藤先生を紹介して頂きました。
江藤先生の初診で即入院となり、約2週間の入院としました。江藤先生の治療法は今までの治療法と違い、最初は躊躇しました。マイザーの分類“超強力”と言う言葉に本当に大丈夫なのか?と、一抹の不安を覚えましたが、指示通りの治療を続けて行った結果、すぐに効果が表れ、無事に退院し自宅療養の後、通常通りの仕事に復帰出来ました。今迄、ステロイド剤に対する知識が乏しく、この時初めて種類の多さに驚き、過去の処方が結果として皮膚炎の悪化を招いた事に悔しさがありました。 

☆丹毒って何だ?終わり無き戦い

 
江藤先生の治療を受けて2年がたち、仕事の物量、責任も増し、真夏の暑さで傷が再び増え始めた頃、高熱を発しました。最初は風邪か?と軽く見ていましたが、度々同じ症状を繰り返し、2~3日高温が続く為、江藤先生に診て貰うと丹毒という症状である事が分かりました。傷口から細菌感染を起こし、疲れが溜まった時に発症する病気でした。それからは、毎日仕事と体調管理に一層気を遣いました。
仕事を続けながら、かつ丹毒を再発させない、という難題を抱えて毎日過ごしていますが、江藤先生の指示の下、薬を使い分けながら、治療を続けて行った結果、時間はかかりましたが、皮膚炎のサイクルも、良好な状態が長続きする様になり、悪化した状態も短くなっていきました。
ここまで回復するには時間も手間も相当かかりますが、薬の治療だけではなく、その他にも、手が身体に向かないようにする、かゆい気分を紛らわせる、という他の対策も、考えればまだまだあります。自分の場合は、趣味にしている絵描きや旅行などです。
 
入社して6年がたち、入社当時お世話になった諸先輩方は「肌の状態が入社時と違って、断然良くなった」と口を揃えます。
 通信業は“国家の神経”ですので特に、ミスが広範囲に影響する仕事、重大事故になる類の仕事など、楽なものではありません。
ですが、ものづくりが好きな性分で、依頼を完了した時や、重大なインフラの不具合を直してお客さんから感謝された時、作業員同士の結束などが、この仕事の醍醐味でもあるので、技術屋はやめられません。
今でも無理を押し通せば、すぐに丹毒が再発します。ですが、今まで皮膚炎が悪化した時も、丹毒になった時も、自分の世話をしてくれた家族には本当に感謝しています。一時は気分も相当落ち込んで、お先真っ暗と悲観していた頃もありましたが、多くの出会いやきっかけでここまで生きて来る事が出来ました。今回、執筆の機会を頂きました、日本アレルギー友の会の皆様にも感謝致します。