NPO法人 日本アレルギー友の会

アトピー性皮膚炎体験記:一度の人生、楽しく生きたい

2015年9月12日

一度の人生、楽しく生きたい
TH(29歳)

◆はじめに◆
 標準治療を始めてから5~6年ほど経つだろうか。アトピー性皮膚炎(以下「アトピー」と表記)がひどかった頃の自分にはできなかったことが、標準治療を始めてから、たくさんできるようになった。暑い季節には半袖・半ズボンを着て、仕事や遊びの疲れでシャワーを浴びずに寝ることや(薬をつけないで寝てしまうこともある…)、人の家に泊まることや、ジムで汗を流すこと、大浴場に行くことなど、アトピーがない人にとっては当たり前のことが、20代後半になってようやくできるようになった。これから、自分とアトピーの関係を振り返っていこうと思う。今、アトピーによって出口の見えない苦しさの中にいる方々の何かのきっかけになれることを願って。
 

◆アトピーが徐々に生活を蝕んでいく◆

 私は幼い頃からアトピーだった。中学校卒業くらいまでは、アトピーの症状はありながらも、それほど気にしない人生を送っていたと思う。小学~中学生の頃は活発な少年だった。人前に立つのが好きで、劇団に入り舞台に出たり、学校の委員会や生徒会に所属したり、学生指揮を何回か務めたりした。中学3年の頃、体育の時間に半袖・半ズボンを着ることに抵抗があった記憶があることから、その時期からだんだんと症状が悪くなってきたと思う。
 高校生の頃は部活動三昧の生活だった。それなりに症状も出てきて、半袖シャツは着られなくなり、合宿の時は入浴時間をずらしてもらったり、寝室は個室を用意してもらったりしていた。今振り返ると、その頃は標準治療で用いる薬を処方してもらっていたものの、適切な薬の塗り方ができていなかった(当時、すでにインターネットでいわゆる“脱ステ”情報に触れていた影響で、不十分なケアをしていた)。そして、高校3年生の後期頃、“アトピー地獄”に陥るきっかけがあった。カポジ水痘様発疹症である。
 カポジ水痘様発疹症は簡単に言うと、アトピーの湿疹病変に合併した、単純ヘルペスによる広範な小水疱とビランの症状である。入院を迫られる顔面を中心としたその症状に驚き、インターネットで検索すると「タクロリムス軟膏(プロトピック軟膏★)が原因」と書いてあるページにたどり着き、ますます標準治療から遠ざかることとなった。タクロリムス軟膏を忌避し、ステロイド軟膏も極力使わないようにしていた。


◆心身の苦痛に耐えるアトピー地獄◆
 

それからは本当に苦しい生活となった。今思えば、あの状態でよく生きていたなと思う。
夜、布団に入ると猛烈なかゆみに襲われ、夜明け頃まで体をかき壊す毎日。十分な睡眠がとれないまま朝を迎え、そこからはかき壊した結果としての痛みに苛まれる。かき壊した部分からは浸出液と血がにじんでいるため、外出するにはシャワーを浴びなければならず、猛烈な痛みに耐える必要があった。日中は体の痛みを抱えながら、外出時、夏は暑さに耐えながら長袖を着て、冬は突き刺さるような冷たい空気に耐えた。そして、大学内を含め、青春を謳歌している同世代の人たちを見るたびに羨ましさを感じていた。こんな生活で就職活動はうまくはいかなかった。性格適性検査ではマイナス思考が反映されていただろうし、面接官には弱々しい覇気のない人物に映っていただろう。

◆転機◆


 根本的な治療を求め、脱ステ・脱タクロリムス・脱保湿を推奨する診療所にかかったこともあったが、精神的な限界に達しており長くは続かなかった。生きていく力もなくなり、心療内科でカウンセリングを受け、軽い抗うつ薬や睡眠導入剤を処方してもらう時期もあった。カウンセリングで「これからどういう人生を送りたいのか」が少し整理できたのか、「このままではだめだ」という気持ちになったのだろう、標準治療をしっかりと受けてみようという気持ちになった。標準治療を受け直すことになったが、しばらくは一進一退の状態であった。症状をコントロールするに足りる薬の使い方がわからなかったからである。
 当時、mixiというインターネット上の交流サイトがはやっていた。インターネット上ではアトピーに関する情報量は“脱ステ>標準治療”という状態であったので、標準治療を実践している人と交流を持ちたいと思い、mixi内に標準治療のコミュニティを作った。ありがたいことに少人数ではあるが、参加し、情報を提供してくださる方々にめぐり会えた。日本アレルギー友の会(以下「友の会」と表記)と私の出会いはここだった。コミュニティに参加してくださった方が友の会のスタッフだったのだ。

◆友の会に参加して◆

 友の会のスタッフから患者交流会の紹介があり、参加することとなった。そこには、重度のアトピーを克服しいきいきと生活を送っている人や、克服途中の人、子どもの代わりに参加している親御さんなどがいた。それまで自分以外の重度のアトピーの人と話したことがなかったので、初めて、体の痛みや見た目の悩みなど共感し合うことができた。そして、重度のアトピーを克服した人の話は希望を持たせてくれるものであった。
 その日、友の会の事務局長の丸山さんから、会報紙の編集作業のお誘いがあった。それまで、アトピーの体験を活かすことなど想像もしていなかったので、自分にできるかどうか不安を感じながらも引き受けることにした。そこから友の会と関わることが多くなり、会報紙の編集作業や療養相談、講演会のスタッフ、テレビ番組への出演(2010年7月1日:NHK、2012年6月18・19日:同)などをさせていただいた。友の会に関わる中で、アトピーとの付き合い方を学び、少しずつ症状が軽くなった。1年と経過しないうちに、半袖を着て外出できるようになった。

◆現在◆

 現在、私は医療職の資格を取り働いている。対象はアトピーではないが、闘病の経験が、何かの形で活かされているとしたら、嬉しく思う。アトピーは完治したわけではない。しかし、通院の頻度は1カ月半に1度くらいでよいし、炎症が出てきたらステロイド軟膏やタクロリムス軟膏を塗らないといけないが、症状が良くなれば保湿だけでコントロールすることもできている。アトピーがひどい時代の名残(色素沈着や白斑、毛穴の開き)は残っているものの、標準治療によって私の人生は大きく変わった。仕事を始めてからは友の会に関わる機会が一気に減ってしまったが、丸山さんから今回の体験記の依頼をいただいたことをきっかけに、できる範囲でまた活動に関わっていきたいと思っている。

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◆「あおぞら」編集後記より◆

 最後に、友の会の編集後記を振り返りたいと思う(抜粋)。
 ・2009年5月:先日初めて患者交流会に参加しました。自分と同じようにアトピーでいろいろな思いをされてきた人たちと実際に会うことによって、無意識のうちにかたくなになっていた自分がらくになったような気がしました。
 ・2009年6月:「病は気から」と言いますが、ちょっと順番が違うような気がしています。体の調子が良いと心の状態も良くなります。アトピーは、まずは皮膚の状態を良くして、心も元気にすることが大切な気がします。
 ・2009年10月:今年の夏、記念すべき出来事がありました。約6年ぶりに、半袖を着て人前に出られるようになったのです。肌に当たる風、水の心地よさを感じることができました。今年の秋は、何かchangeが起こりそうな予感?!
 ・2009年11月:今年も残すところ、あと2カ月となりました。何だか今年は月日がたつのがとても早かった気がします。今年は厄年でしたが、たくさんの人と知り合うことができて、新しいことにも挑戦できて、良い1年でした。感謝。
 ・2010年7月:先日、「あおぞら」第459号で、辛いアトピー性皮膚炎の体験記を書かれた岡田さんと映画「アリス・イン・ワンダーランド」を観に行きました(中華街も!)。僕ら2人は、「赤の女王」の救われない結末を悲しく思ったのでした。
 ・2010年11月:半年くらい前から毎日運動をするようになりました。アトピーがひどい時は体を動かすことさえ苦痛で、運動なんてまともにできませんでした。こうした当たり前のような生活に、ひしひしと幸せを感じています。
 ・2011年10月:友の会の会員となり、ボランティアを始めてから丸3年がたとうとしています。入会前の、アトピーがひどい頃の写真を見ると、写真から当時の辛さ、悲しみが伝わってきて切ない気持ちになります。「よく頑張ったね」。
 ・2012年5月:3月、医療系国家試験に合格し病院に勤務することになりました。明るく熱心に、経験を積んでいきたいです。