NPO法人 日本アレルギー友の会

自分らしく生きるために ぜんそく患者の私の場合

2010年9月 8日

喘息があると結婚や恋愛に不安を持つ方もいることと思います。病気を持つことの不安を乗り越えてめでたく結婚した佐藤さんからのメッセージです。奥様も喘息の佐藤さん夫妻の2人で支え合いながら生きる喜びが伝わってきます。

(東京都港区 佐藤瑞穂さん / 男性 / 35才)

佐藤瑞穂 体験談.JPG今から十五年前、成人という節目を迎えた私は大学病院にいました。八ヶ月という途方もない長い入院生活の最中でした。当然、結婚はおろか就職すら出来なかったのです。親は「四十を過ぎてもこのまま実家にいるのではないか」と悲観し、未来が見えない自身に絶望していた頃でした。

しかし、その後状況は一変します。治療の効果が出て、あれほど苦しんだ大発作も出なくなりました。上京したのはそれから三年後のことでした。上京してから数年後のこと、あるアレルギー疾患患者向けの講演会で彼女と出会いました。実は以前からメール等で交流はしていたのですが、実際に会ったのはその講演会が初めてでした。

初めて会ったとき、彼女は普通に振舞っていましたが、肩が若干上がり下がりしていて、私から見ると明らかに苦しそうでした。でも、周りの人は誰もその事に気づいていないようでした。そのため「他の人にはわからないかもしれないけど、僕には苦しいのがわかりますよ」と声をかけたのが、初めての会話でした。当時、私のぜんそくはすっかり落ち着いていましたが、彼女は闘っている最中でした。

その後、気づいたらいつの間にか付き合うようになっていました。恐らく互いにぜんそくで共感できるところがあったからでしょう。しかし、彼女は美容師、私はシステム・エンジニアで、休みが月一回しか合わず、なかなか会う事も出来ませんでした。それでも、時間を見つけては沖縄や長崎など旅行に出かけ、二人だけの時間を無駄にしないように心がけてきました。

そして、二〇〇五年六月二十七日、とうとう入籍しました。新居も妻の実家の沿線に確保して新しい生活がスタートしました。また同じ年の一〇月一〇日には、私の地元、福島県郡山市で披露宴を行うことが出来ました。私が妻に望んだのは「家に帰ったときに“おかえりなさい”」と言ってくれる暖かい家庭、ただそれだけでした。

結婚後も、妻のぜんそくは安定せず、時々入院することもあります。また、様々な疾患が出て、それが原因で入院することもあります。夫婦喧嘩するとすれば、妻の主治医を巡ってくらいでしょう。でも、妻は今の主治医を全面的に信頼して、信頼関係を築いているようです。日頃から「主治医との信頼関係が治療の第一歩」と他の患者に説明している私にとって、とても大切だと感じていることを妻は自ら実践しています。

また、私も妻に支えられています。週末や平日の夜など、友の会の会議やイベントなどに追われて、家を留守にしがちですが、それでも妻は何一つ文句を言わずに私を待っていてくれます。そして疲れ果てて家に帰ると「おかえりなさい」と言ってくれます。これも妻がぜんそくや友の会のことを理解してくれているからでしょう。もし、結婚した相手が病気知らずの健康な人だったら、私は友の会か家庭かという、究極の選択を迫られていたかもしれません。私にとって東京とは、友の会で活動するためにあるような存在なので、友の会を否定すると言うことは、即ち東京で生活することを否定するようなものです。もし、家庭を迫られた場合は、地元の福島に戻っていたことでしょう。でも、妻のおかげで友の会と家庭を両立できているのだと思います。妻には本当に感謝しています。

私たち二人は支えあって生活しています。お互いぜんそく患者であることは全く関係ありません。きっと、この関係は永遠に続くことでしょう......