NPO法人 日本アレルギー友の会

吸入ステロイドと私  ―患者として、医師として―

2010年9月 8日

幼い頃からの喘息にも負けず、喘息専門医として活躍する久保先生。患者の気持ちがわかる医師として様々な活動をしてきました。自己の治療を振り返ってのメッセージも。

(和歌山県 久保裕さん / 男性)

はじめに

私は田舎の喘息医です。一昨年の秋、肺炎がもとで呼吸不全に陥り、長い間休んでおりました。今は酸素吸入をしながら、週三回の外来をしています。診るのは一日十人くらいですが、喘息患者さんがほとんどで、中には小学生も混じっています。私を必要とする患者さんがいる間は、細々ながらでも続けていきたいと考えています。

喘息の特効薬をもとめて

喘息症状が出たのは二歳のときです。一九五〇年代の喘息治療は今とはかなり違ったものでした。発作の時にはよくボスミンやネオフィリンの注射をしました。ひどい時には注射も効かず、眠れない夜が一週間くらい続いたものです。吸入ステロイドのない時代に生まれ育った私は、喘息のみならず、合併症や後遺症にも悩まされることになりました。

小学二年のとき、初めてメジヘラーを使いました。この即効性の気管支拡張薬を吸入すると、発作が嘘のように軽くなります。しかし、強い発作の時には十分くらいしか効かないので、一日に何十回も吸ったことがあります。大学二年の秋、使い過ぎて脈が速くなり、下宿で身動きがとれなくなりました。あの時、下宿のおばさんが様子を見に来てくれなかったら、今の私はなかったかも知れません。

喘息の「特効薬」はほとんど試しました。植物を煎じたものは、二度と飲む気がしないようなひどい味でした。果実のアルコール漬けは、飲んだとたんに発作を起こしました。生きた雨蛙も「特効薬」の一つです。あの日、父の知合いがビニール袋に入れて持ってきた、鮮やかな黄緑色の雨蛙のことを、今でも忘れることができません。

医学的効果があると言われていた根治療法もいろいろ試しました。アラーパスという名の細菌ワクチン療法は、注射針で腕に何本もひっかき傷を作り、そこに薬液を擦り込みます。某病院の喘息外来に来ていた子供たちは、その痛みに泣き叫んでいました。金製剤のゾルガナールという筋肉注射も受けました。高価な薬だったと思います。何十本も打ちましたが、捗捗しい効果は得られませんでした。開発当初に試した減感作療法もしかりでした。

「喘息は、小学校に入学するまでには治るから」と、近所の人たちによく言われました。しかし、私の喘息が一番ひどかったのは小学一年のときです。発作が出て、遠足も運動会も学芸会もみな参加できませんでした。学年末になって出席日数が足りず、父が職員室に呼び出されました。担任のお情けで進級することができた、という話を父から聞いたのは中学に入ってからのことです。小学校六年間の欠席日数は二百八十日でした。

医師を志したのは、患者さんを救済するといった高邁な精神からではありません。勿論、世俗的な理由からでもありません。ただ、喘息が憎かったのです。

喘息はコントロール可能な病気

七八年に医学部を卒業した私は二十年余り、民間病院で呼吸器科医をしていました。最初の十年間の喘息治療については、懺悔なしには語ることができません。テオフィリン薬のRTC療法、漢方薬、吸入ベータ刺激薬のレギュラーユース、そして続々と発売される経口抗アレルギー薬。八十年代、私たち臨床医は喘息治療の「流行」に翻弄されていました。   

私はいつしか喘息患者教育という分野に興味を持つようになりました。そんな折、アラバマ大学のベイリー教授が書いた喘息解説書を知りました。「主治医に質問することはあなたの権利であり、義務です。」という一節が目に止まり、患者さんに是非伝えたいと思いました。九〇年に自費出版した日本語版が、「七日で学ぶ喘息コントロール法」です。

この翻訳書を出版したもう一つの理由は、「コントロール」という概念を日本に広めたかったからです。海外ではすでに八十年代から、「喘息は治らないが、適切な治療によりコントロールできる」と、患者さんに説明していました。わが国では今でも、喘息を「治す」とか、喘息は「治る」といった表現が使われています。治ることに拘りすぎると、治療に無理が生じます。治るに越したことはありませんが、喘息は慢性疾患であり、現時点ではコントロールする病気です。

喘息はまた、学ぶほどコントロールできる病気です。私たち医師は、患者さんに知られて困ることは何一つありません。できるだけ多くの患者さんに、正確な最新情報を提供したいと考えました。八九年、ニフティサーブに「オンライン・ぜんそく友の会」が誕生します。会員はやがて一万人を越え、毎日三百人がアクセスするフォーラムになりました。しかし当時の私の喘息治療は、世界の最先端治療と大きく乖離していたのです。

吸入ステロイド薬との出会い

九一年、京大会館でとある研究会が開かれました。講師はマクマスター大学のニューハウス教授です。前年九月から胸部研に入院していた私は、病室を無断で抜け出して会場へ行きました。この研究会こそが私の喘息医としての運命を大きく変えることになります。喘息の本態は気管支の炎症であり、吸入ステロイドが第一選択薬であること。吸入薬の方が経口薬よりも副作用が少ないこと。薬の効果を高める上で、吸入指導が不可欠なことなどを私は学びました。

その後、あらゆる機会を通じて、吸入ステロイド普及のキャンペーンを行いました。しかし、経口抗アレルギー薬全盛の時代にあっては、道は決して平坦ではありませんでした。ステロイド恐怖症は患者さんのみならず、臨床医の中にも根強く残っていました。今では否定されていますが、「吸入ステロイドを使うと喘息児の身長が伸びない」と、小児科医は強硬に反対しました。正しい知識を普及するには次なる作戦が必要でした。

イギリスには当時、常設の喘息電話相談があり、専門看護師が年間一万五千件の電話を受けていました。九三年に始まった喘息デーはこれをモデルにした企画です。目的は、吸入ステロイドを普及し、喘息死を減らすことでした。日本アレルギー友の会を初め、多くの団体から後援をいただきました。九八年、世界喘息デーが始まり、わが国独自の喘息デーはその任務を終えることになります。

息あるうちは

九六年、オランダ喘息協会を訪れた際、ラメカーズ理事長から興味深い話を伺いました。
「喘息児の母親には、吸入ステロイドを使わずに治療した時の問題点も説明します。」
吸入ステロイド抜きの治療は過少治療(アンダートリートメント)と呼ばれています。生活の質と呼吸機能が低下し、やがては体格や体力、学力にも影響します。また、常用量の吸入ステロイドはきわめて安全ですが、過少治療はときに命に関わることがあります。

顧みるに、私の小児期の喘息治療は明らかに過少治療でした。当時は吸入ステロイドがなかったからです。最初の喘息治療が不十分だったため、気胸や肺炎を繰り返し、三度の開胸手術と二十数回の入院を余儀なくされました。身の程を弁えず医師を志したことも、あるいは間違っていたのかも知れません。

ともあれ、現在では小児にも使える安全で強力な吸入ステロイドが、いくつも出回るようになりました。ただ、わが国の喘息児のうち、吸入ステロイドを使用しているのはわずか八%に過ぎません。八十%近い喘息児が使っているデンマークに比べると、あまりにも低い普及率です。

一つの薬が全てを解決してくれるわけではありません。しかし、自らの人生を振り返る時、「全ての喘息児に吸入ステロイドを」と、願わずにはいられません。

喘ぎつつ歩んだ道に悔いはなし
    息あるうちは責を果たさん