NPO法人 日本アレルギー友の会

ぜんそくと仲良く英国徒歩縦断

2010年9月 8日

幼少期からの喘息でよくならず重積発作を起こして意識不明に。ステロイド吸入を使うようになり軽快してきました。趣味の登山も続け、念願の徒歩での英国横断を達成するまで元気になりました。

(佐藤由弘さん / 男性 / 66才)

佐藤由弘さん.JPG私は昭和16年生まれの66歳の男性です。現在は退職して6年、無職で年金暮らしをしています。

私は幼少時から気管支ぜんそくに悩まされてきた。まだ小学校に上がる前だったろうか。夜中になってぜんそく発作が起きて母の背中に負ぶわれて近くの医者に行き、注射を打ってもらったことや、中学生の頃、せっかく市内の陸上大会の選手に選ばれたのに、当日の朝、発作で動けず出場できなかったことなど鮮明に覚えている。

両親も何とかぜんそくを治し、丈夫な体にしたいと、その頃、戦争が終わったばかりで食糧事情が悪く牛乳などなかった時なのに、手に入る薬や、食べ物、山羊の乳などあちこちから工面してきてくれた。今思うと頭が下がるばかりである。

その後もぜんそく以外にとくに病気にかかったことや大きなけがなどはしなかったが春秋の季節の変わり目になると調子が悪くなることが続いていた。高校生になった頃より体力もついてきたせいか、大きな発作は起こさず、学校を欠席することもほとんどなかった。

それが、20代後半頃からまた発作が起き始めた。中学校の教諭の仕事をしていた。酒は飲んでいたがタバコは吸わなかった。山登りやスキーが趣味であちこち出かけていた。発作止めの薬だけは持っていたが、あまり使うことはなかった。ただ、悪い時には気管支拡張吸入剤を使っていた。一度、その使いすぎで重積発作を起こし、救急車で病院に運ばれた。半日くらい意識不明になった。何でこんな体になったんだろうと滅入った。

30歳頃、グループで米沢へスキーに行って、車中のタバコの煙が悪く、発作を我慢して吸入薬に頼ったせいか発作が止まらず、近くの病院に運ばれ1週間ほど入院するはめになった。この時は、本当に死ぬかと思った。一晩中発作が止まらず、家族や親類も駆けつけ、医者からは「危ない」と言われたとのことである。

お先真っ暗な2、3年であった。新潟大学附属病院に入院していろいろな検査をしてもらい、当時流行った減感作療法を受けたが好転せず、時々発作が起きて苦しむことが2,3年続いた。35歳に結婚をして子どもも授かる。何とか、体を丈夫にしたい。山にも登りたい。

大学病院で主治医が月岡先生(友の会顧問)に変わった。吸入ステロイド(ベコタイド)を処方された。何と、毎日厄介になっていた吸入拡張剤を使わなくてすむようになった。驚きであった。

いろいろな条件も重なったこともあるのだろうが、その後も新潟市で開業された月岡先生の治療を30年以上受けている。おかげさまで、時々吸入の拡張剤を使うこともあるが強い発作を起こすことがない。調子の良い夏には山登りもでき、モンブラン、キリマンジャロ、日本百名山にも登ることができた。

1992年9月12日、NHKでBBC製作のドラマ「最北への道・65歳の旅立ち」が放映された。徒歩でイギリスを縦断した老人の自己発見の旅物語である。それを観て、自分が65歳になる2006年5月にイングランドの南西端ランズ・エンドからスタートする夢を抱いた。

毎日の体力作りとともに長距離ウォーキングに出かけたり、英会話の勉強をしたりして準備をし、2006年5月16日、自分の65歳の誕生日にランズ・エンドに立つことができた。そこから、コーストパスを通って、ブリストルへ。ウェールズの首都カーディフを経てブレコン・ビーコンズ国立公園を北上。マンチェスターまで27日間、839㎞の歩き旅をした。

2007年の今年は残りが約900㎞。あと2回はかかるかなと思いながらも、調子が良かったら一気にゴールしようとの心意気で出かける。体調(腰痛)や天候、どちらもだめだったが気力は充実。

6月3日、24日間でスコットランドの北端ジョン・オー・グローツにゴールイン。念願のEND TO END1707㎞の旅を2年越しに51日間で終えることができた。イギリスの大きな町、田舎の町、そして田園、山、川、湖、海の美しい景色とともにいろいろな方たちとの出会い、数々のトラブルが走馬灯のように目に浮かぶ。これも歩き旅だからこそ得られたのではと思っている。

いちばん心配していた気管支ぜんそくがほとんど起きず、吸入ステロイド(フルタイド)を基本とする薬だけで吸入拡張剤は一度も使わなかった。

「適度の緊張感と環境が良かったのでは」との月岡先生のお話。私は今までのぜんそくへの取り組みは人生の試練で、「ぜんそくよ!ありがとう!」とも言える気持ちで生活している。