NPO法人 日本アレルギー友の会

ぜんそくとの闘い

2010年9月 8日

44歳で発症しなかなか薬が合わずに重症化してしまう。ステロイド経口薬を使用せざるを得なくなるが、なんとか抜け出したいと、薬の情報を得て主治医と一緒に自分に合う薬を探す。
自ら積極的に治療していこうと前向きな坂本さんが軽快するまでの道のり。

(神奈川県 坂本直美さん / 女性 / 62才)

坂本さんの笑顔.JPG家族暦

私は一九八八年にぜんそくを発症しました。発症した原因は、母親も私の息子もぜんそくがあったという遺伝的要素に加えて、仕事のストレスと仕事と家庭の両立でひどく疲れていたというものです。

母親は三十二歳でぜんそく発作で亡くなりました。私が七歳の時です。
その頃は母が発作を起こすと、姉か私が昔、衛生兵だった近所のおじさんを呼びに走りました。おじさんはアルミの弁当箱で注射器を消毒し、母に注射をしてくれて、しばらくすると発作が治まるのです。一九五〇年の頃はまだこの程度の治療でした。

又、私の二人の子供のうち、長男は何とも無かったのですが、次男は五歳で発症し、十三歳で寛解するまでに夜中に発作を起こして救急外来に駆け込んだことも度々ありました。減感作療法に六年間通いました。今年三十四歳になりましたが、就職して一度だけ発作を起こしたそうです。

治療歴

私が初めて息苦しさと一緒にヒューヒューという音が聞こえたときは、すぐにぜんそくだとわかりました。知っていただけに恐怖でした。四十四歳の時です。

「早く専門のお医者さんに診ていただいて悪化させないようにしなければ」と思い、知人に紹介してもらってその病院へ行きました。先生は永年、ぜんそくひとすじに治療をされている、まさにぜんそくのスペシャリストでした。

「大人になってからぜんそくになると完全によくなるということは無いので、自分ののんでいる薬については、名前と、どんな働きをするのか覚えなさい。永い付き合いになるのだから、患者も勉強しないとね」と言われました。治らないという言葉のショックはありましたが、その時はそんなにひどかったわけではなかったので、これ以上悪くしなければ大丈夫、仕事も続けられるだろうとたかをくくっていました。

しかし、処方してくださる薬がことごとく合わなくて、あっという間に重症患者になっていました。最初は抗アレルギー剤で二十四時間、咳が止まらなくなりました。抗アレルギー剤が原因とわかるまでに一ヶ月かかりました。その時にはもう入院しなければならない状態になっていました。

先生は「薬というのは治験の段階で、例えば百人のうち九十九人に効果があれば認可されるのだよ。あなたは残りの一人で、効果より副作用ばかり出るんだね。それと、身体が疲れきっていても薬は効かないよ」と言われました。丁度二人の子供が高校と大学に行き始めたばかりで、これからがお金が掛かる時なのに、仕事は出来なくなり、おまけに自分の医療費は加わるわけで暗澹たる気持ちでした。

その抗アレルギー剤はのむのをやめれば咳は治まったのですが、また別の抗アレルギー剤を飲むと、今度は痰が詰まってしまうなど繰り返しているうちに気道の過敏性は増して、昼間と夕方のわずかな気温の差でさえ、発作になってしまいました。そしてよく風邪をひくようにもなりました。

風邪をひくと発作もひどいし白血球もすぐ一万を越して毎日ステロイドと抗生剤の入った点滴をしに病院通いです。それで治まらなければ入院になることもたびたびありました。発症してから三年間のうち合計すると半分以上は入院生活でした。そのうちにアスピリンぜんそくにもなり、バファリンを1/2錠のんだだけで意識が無くなったり、他の解熱鎮痛剤でも重積発作を三回繰り返してしまいました。体力も気力もどん底の状態でした。

それでも先生は「これなら坂本さんに合いそうだよ。」といろいろ勧めてくださいました。その中にはベコタイドやアルデシンなど吸入ステロイド薬もありましたが、気管に痰がへばりついたようになり、発作は出ないけれども胸と背中が痛くて、とても辛くて、とうとう使うのをあきらめました。

結局やめたいやめたいと思っていた内服のステロイド剤を飲み続けることになりました。少し良くなったかなと思えるようになったのは、抗生剤のエリスロマイシン少量を毎日のむという治療を始めてからでした。

一九九八年にはドライパウダーの吸入ステロイド薬「フルタイド」が発売になりました。私の周りの人達は随分症状が軽くなっていきました。私のその頃の主治医は呼吸器科の先生で必ずしもぜんそくが専門というわけではありませんでした。診察の時に思い切って「新しく「フルタイド」という吸入ステロイド薬が出たそうですね。私も使ってみたいのですがいかがでしょうか?」と聞いてみました。すると、「まだ副作用の面で何も分かっていないので、今の段階で入れるつもりは無い」と言われてがっかりしました。

これまでのぜんそくとの闘いを考えると、とても黙って引き下がるわけにいきませんでした。そこで、本当はいけないことなのですが、フルタイドを使っている友達に「取り入れてもらったら返す」という約束で一つ借りて使ってみました。喉に違和感があって、声はハスキーになりましたが、胸はすっきりしてこれなら使えそうと思いました。

朝・晩しっかりピークフローメーターを測りぜんそくの状態を四週間「ぜんそく日誌」につけて、次回の診察を受けました。先生はびっくりして「確かに先月までと違うね。これなら使った方がいいから入れるようにするよ。」と言ってくださいました。

一患者がこんなことをして果たしていいのかどうか分かりませんが、とにかく内服のステロイド剤を切りたい思い、だけの行動でした。これまでのぜんそくの状態よりはるかによくなりました。それまで一日ものまずにいられなかった内服のステロイド剤を一日おきに半分で済むようになりました。ほんとうに嬉しかったです。

身体は勿論のこと、副作用を知っていただけに精神的にも随分楽になりました。加えて風邪をひく回数も減ったように思いますし、ひいても軽くてすみ、その為に入院することは無くなりました。

ただ、これまで長い間、やむをえずとはいえだらだらとステロイドの内服を続けてきたのですから、副作用が出始めています。私の場合は骨粗しょう症です。これも新たな心配事です。

また、昨年夏は大きな手術をして体力が落ちたのか、ピークフローメーターの値が下がって、息苦しい状態が半年ほど続きましたが、これは肺気腫やCOPDの患者さんに処方される薬のようですが「スピリーバ」という吸入薬を私も試させてもらったら、二週間ぐらいで正常なピークフロー値に戻り呼吸も楽になりました。

「フルタイド」のことや「スピリーバ」のこと、また風邪のときの対応、日常生活で気をつけることなどの情報は、友の会の会報や講演会、また事務所で行われるぜんそく実践講座などに参加して、得ています。

例えば薬に関しては、予備として必ず内服のステロイド剤や抗生剤は余分にいただいておくこと。風邪をひいたかなと思っていたらぜんそくの状態が悪くなってきて、痰の色が黄色くなってしまったら、早めに抗生剤とステロイド剤をのむ。本来は痰の検査をしないで抗生剤を勝手にのむことはいけないことなのですが、ぜんそく歴の永い私はステロイド剤だけでは長引いてしまって、回復するのに時間がかかってしまいます。以上が私の十七年間のぜんそくの経過です。

病気の妻として母として

一家の主婦が、しかも昨日まで外で働いて、家の掃除、洗濯、食事の支度と元気に立ち働いていたのが、ある日突然、ただ布団の上でコンコン、ゼーゼー喘いでいるだけの妻であり母でしかなくなったのです。そして退院してきて子供たちも夫も「もうこれでお母さんは元気になったぞ、良かった良かった」と思うまもなく、またまた入院。

この繰り返しですから、家族はほとほといやになったのではないでしょうか。息子が病室へ来て、「お母さん、土日だけでもいいから帰ってきてよ。お父さんがヒステリーを起こして参っちゃうよ」と言うこともありました。このままでは私の居場所さえなくなってしまうのではないかというあせりもありました。闘いは病気だけではありませんでした。

エリスロマイシンを使って少し良くなり、フルタイドを使ってすごーく良くなりましたが時々耳にする友達の「薬のむの忘れてたよ」というところまではいっていません。逆戻りしないためにもきちんとピークフローメーターを測り「ぜんそく日誌」をつけ、薬も吸入も先生の指示通りに続けています。

それでもスニーカーを履いて歩き汗をかき、太陽をまぶしく感じながら洗濯物を干し、夕飯の支度をするという、何でもない日常生活が出来ることの幸せを感じています。それは、何も言葉にはしないけれども夫やそれぞれに家庭を持った子供たちの方がもっと安心していることと思います。