NPO法人 日本アレルギー友の会

結局のところ向き合うことでしか先へは進めない

2010年9月11日

幼いときからアトピーで、さらに漢方治療のためにステロイド外用薬を抜いてひどい状態になってしまったOさん。人間関係に疲れ人と会うことに恐怖を覚えるようになり引きこもりに。そこから脱出し、笑顔を取り戻していった体験談です。

(東京都 W・Oさん / 男性 / 25才)

世界は広い。そんなことは誰でも理解していると思うが、自分にとっての世界とは自分の目が届く範囲、知っている人間だけの世界なのだ。テレビ、新聞、本、ネット等から得られる世界情報は自分にとって一種の別世界のようなものに感じてしまう。おそらくそういった感覚は誰もが一度は感じたことがあるのではないだろうか。

違和感から劣等感

違和感は物心ついた時にはあった。生まれてすぐにはもうアトピーの診断を受けていた私がこの違和感の正体を知るのは小学校に入ってからだったと思う。正体を知り、違和感は劣等感へと変化を遂げた。「アトピー性皮膚炎」という病気であると理解し、周りと見比べ、周囲の反応を意識し出す。中には自分の肌に対し拒否反応を示す子も出てくる。だが受け入れてくれる子もいた。嬉しかった。心の中で感謝した。ただ、劣等感は消えることはなかった。その劣等感は今現在に至るまで消えることなく自分を苦しめる一つの要因になっている。

最初の転機

治療法として小学校時代はずっとステロイド外用薬を塗り続けていた。だが一向に良くなる気配を見せず、家族共々途方にくれていた。

転機は中学二年生の夏。漢方薬治療の病院に行くことになりそれまで使っていたステロイド薬は断つことになった。この時はマスコミによるステロイドバッシングが激しくステロイドを断つことの抵抗感はさほどなかったように思う。漢方薬治療をはじめてどれくらい経ってそれが起こったかの記憶は定かではないが、気付いた時には身体はとんでもないことになっていた。リバウンド地獄のはじまりである。

身体中の皮膚はずる剥けその内側の赤い肉を晒し、臭気と不快な粘りを出す汁を垂れ流す。風が吹くだけで強烈な痛みを感じ歩くことさえ困難になる。そして途絶えることのない痒み。掻く事は日常で掻かない事は非日常。痒みと痛みで眠ることすら許されない。肌に纏わりつく消えない気持ち悪さ。この身体状態の劇的な悪化は当然の如く学校生活にも影響を及ぼすことになる。

まず、それまでいた友達は距離を置く。それだけならまだいいが、言葉による中傷攻撃をする者も出てくる。そしてその攻撃は次第に行動となって表れ、私の身体に触れるということはおろか私が触った物、使っている物にでさえ拒否感を示すことになる。

誰とも関わらないこと。このことが自分を守る唯一の術と信じ、極力人との接点をなくすよう学校生活を送った。これは孤独との闘いのはじまりであり、この闘いは中・高生時代を通じて終わることはなかった。今でも何故この中・高の学校生活を耐えることができたのか不思議でならない。臆病だったからというのは答えとして不足だろうか。

環境の変化。新しい人間関係の始まり。私は美術の専門学校に行くことになった。それは私に希望を抱かせるに十分な状況ではあったが、病気は相変わらず私を苦しめ続ける。

学校生活の中で友達と呼べる人達はできたけれど病気を打ち明けることはできず、自ら壁を作り距離を置いた関係になっていたと思う。学校が終わりに近づくにつれ人間関係に疲れ人と接することに恐怖を抱くようになっていた。

色んなことに疲れていた。病気と向き合うことに目を背け、自分の殻に籠る。都合が悪くなると病気を盾にして逃げる。それが生きていく為の処世術。気付けば卒業だった。

殻は次第に厚みを増してより強固なものとなっていく。比例するように対人・視線恐怖も強くなる。外に出るのが辛い。外には沢山の人。視線が痛い。思うのは相手の思考。「気持ち悪い」。他人の目はそう物語っているという揺るぎなき思い込み。外に出る度に、人に出くわす度に、視線は突き刺さりこの思い込みが己を支配する。それはとても苦しく、憎く、恐ろしい。そして人の恐怖、視線の恐怖から逃れる為に部屋に籠る様になっていく。それでも不定期だが病院に行けていたし、月に1回は外に出られていたのでまだ良かった方だと思う。

現在進行形

また一つの転機がやってきた。漢方治療を止めてからは色々な民間療法をやった時期もあったが、この時は家の近くの皮膚科に行き非ステロイド薬と保湿剤を塗るということをしていた。好転する気配を見せない状況に心身ともに憔悴しきっていた私に先生は別の病院を紹介してくださった。

結果的にいうと私はまたステロイド治療を始める事になる。恐ろしかった。それは過去に自分を地獄に落とし入れたステロイドに対する恐怖。しかしもう一つの恐怖もあった。それはこの先の未来の恐怖。酷い状態の身体のままでこのさき生きていけるのかという恐怖。過去はもう変えることは出来ないが未来はまだこれから変えることが出来る。今になってその時の気持ちを反芻してみるとそんなことを考えていたかもしれない。......いや、これはいささか美談と化しているか。とにかく、状況の変化を望む自分の気持ちが勝った。

人目を気にしながら電車に乗り病院へ行くことが最初は苦痛だった。それでも行けていたのは絶望の中にあった一筋の希望、「良くなりたい。普通の生活をしたい。」という意識があったからではないかと思う。もうどうにもならないと口では言いつつも心の奥底では良くなりたいという欲求が息を潜めていたのだろう。通い始めて1,2ヶ月経つと、皮膚の状態が徐々に目に見てわかる形で良くなっていった。そして皮膚の状態に比例するように外に出ることも辛くなくなってきた。だが突然外に出ることに苦痛を感じなくなるはずはなく、定期的に外に出るということの繰り返しが慣れを生み、皮膚の状態とうまく噛み合ってくれて苦痛を和らげていったのだと思う。錆びた歯車が潤滑油を与える事で再び動き出した。少しずつ、少しずつ。

そして今現在。今でも二週に一度のペースで病院に通ってステロイド外用薬による治療を続けている。この病気とこれからも付き合っていかなければいけない。病気によってしたくても出来なかった事は多く、何も出来なかった空白期間を作ってしまったという事実もある。しかしそういった現状を受け止めつつも、今までの経験、そしてその中で生まれた感情をプラスのエネルギーとして変換し、生きていこうと思うようになってきている。それは決して楽ではないだろう。今までも、そしてこれからも。

向き合うこと

結局のところ自分は向き合うことでしか先へ進めない。そしてそのことが自分だけの狭い視野で見ていた世界を広げ、新しい価値観や考え方を引き出すのではないかと思うのだ。友の会の相談だって向き合う行動の一つだと思う。友の会に相談に行き、事務所のお手伝いさせてもらうことで自分以外の同じ病気の人の事を知りえたし、病気に対する知識も深まってきた。勇気づけられる事も多い。この体験談だってそうだ。今まで目を背けてきた事実や心情を受け止めるいい機会になっている。

こういう一つ一つの向き合う作業が自分を先へ進めてくれると信じて私は今を生きている。

この体験談を書かせて頂くきっかけを作ってくださった丸山さん、そして友の会の皆様に感謝します。有難うございました。