NPO法人 日本アレルギー友の会

アトピー体験記:〝幸せ〟のおすそ分け     ~暗闇のアトピー時代を乗り越えて~

2013年10月 5日

 私のおなかには、今、赤ちゃんがいます。くすぐったいくらいの胎動を感じています。そして、私のすぐ横では娘が遊んでいます。まだまだ意思の疎通もままならない1歳。その隣には、私たち家族のために毎日仕事をがんばってくれている大切な旦那さまがいます。世間から見れば、特別うらやましがられることもない一般的な家族。6年前の私には思い描けなかった〝家庭を築く〟という、夢のような日々を、今は過ごしています。『アノ時』が本来の私の人生であったならば、今は天国で暮らしているようなものでしょう。と、冒頭から平凡な〝幸せ〟を自慢しましたが、もしそれでもよろしければ、私が生きてきた日々を振り返りながら、皆さんに〝幸せ〟のおすそ分けができればと思います。

 出し惜しみはいたしません。最初に申し上げましょう〝幸せ〟の入手方法を。それは

「正しい治療を理解する」

これが〝幸せ〟を手に入れた私の方法。拍子抜けしてしまったらすみません。それでも、振り返って考えてみても、コレ以外にはないのです。  

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(荻野美和子 34歳)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●ステロイドは毒薬?●

 現在34歳。そのほとんどがアレルギーに翻弄された日々でした。ぜんそく、アレルギー性鼻炎、じんましん、そしてアトピー性皮膚炎(以下アトピー)。アレルギーに属するものはほぼすべて経験したのではないでしょうか。どれが一番辛かったのか、苦しさは比べることはできません。その時々を、ただただ生きることに必死の毎日。その原因は、治療に関して錯綜する情報に惑わされ、正しい治療を知ろうとしなかった自分にあります。

確かに二十年以上前は根拠のないさまざまな治療が流行ったうえ、皮膚科医も治療に自信が持てなかった時代。しかし、わたしが脱ステロイドを始めたのはプロトピックが発売された後です。脱ステロイド時代に入る前にこの薬の存在を知っていたら、5年半もの長い『生き地獄』の日々はなかったかもしれません。何も調べずにただ「ステロイドは毒薬」という視点でしか見ていなかったのです。

 ●漢方が唯一の明るい未来●

 生後二カ月でぜんそくを発症し、入退院を繰り返す幼少時代。小学生の頃から重度のアトピーも併発。手足に包帯をグルグル巻きにされてピースサインをしている痛々しい姿が卒業アルバムに残っています。高校生にもなるとおしゃれもしたいお年頃。ミニスカートの制服が流行って素足も出したい、そんな想いで経口ステロイド薬(飲み薬)も服用していました。飲んで数日はとても調子がいいのですが、薬の効果が切れると体中にブツブツ、顔は赤ら顔、元のひどい症状に戻ります。この経口薬は塗り薬よりも手放せなくなっていきました。ちょうどその頃マスコミで、ある芸能人の子どもが〝漢方治療でアトピーが完治した〟と話題になりました。私たち家族は、漢方が唯一の明るい未来なのだと確信し、インターネットで調べ、たどり着いたのが関西にある漢方治療の医院だったのです。

ステロイドは塗っても治らず、飲んでも治らないという十数年来の苦しみからか、私は少しずつ西洋医学に対して不信感を募らせていきました。

 ●信じ続ける長い歳月●

 私にとっての漢方治療は一言『生き地獄』。寝ても覚めても止まないかゆみ。5年半もの年月を費やしました。治療は一日一杯の煎じ薬と、毎日2時間浸かる煎じ風呂。これだけです。24時間肌を掻きむしるので、皮膚なんてありません。体中から浸出液が湧き出てきます。特に顔からの体液がひどかったので、一日中顔にタオルを当て天井を向いてベッドで寝ていました。今あの瞬間を思い出すだけでも恐怖で鳥肌が立ちます。周りの友人は大学卒業し、皆が新社会人として新しい未来を切り開き始めた頃でした。その時に私はベッドの上。誰よりも懸命になって就職活動し、見事内定を勝ち取った会社をやむなく辞退。しっかりと将来の人生設計をしていただけに、社会人にさえなれない現状に落胆し、精神的にもどん底だった日々を思い出します。それでもこの地獄の先には、アレルギーのない明るい未来が待っているのだと信じて疑いませんでした。いわゆるマインドコントロールをされた状態。といっても、面倒な作業の多いこの漢方治療は、始めて1年半ほどしか真面目に取り組みませんでした。これではいけないと思いつつも、後の4年間は自分でほかの治療を探す勇気もなく、とりあえず漢方の塗り薬で皮膚を潤しているだけ。アトピーと向き合うと誓いスタートした漢方治療が、いつの間にか先を考えるだけで体の中から湧き出るようなかゆみと恐怖に苛まれるようになり、向き合うことを避けていくようになります。 

●毎日が必死の社会生活●

 5年半もの長い年月、ひどい症状ながらも働きにも出ました。でもそれは一日一日を必死で乗り越える日々だった記憶があります。周りの目も恐怖でした。今となっては被害妄想だったと思えますが、同僚には『なんであんなにひどいのかしら?』などと言われているのではないかと怯え、相手と目を合わすこともできないOL時代を過ごしました。仕事が終わって帰るとすぐにベッドにもぐり体中を掻きむしり、その日我慢していたかゆみを一気に爆発させていました。その時毎回心に問いていたことがあります。〝…このままでいいの?〟しかし私には、ほかに治療を探す気力がありません。時間だけが過ぎる日々が続くのです。

 ●奇跡の「普通」●

 ある日ふと母親に「ほかの皮膚科に行ってみない?」と言われました。脱ステロイドを信じきる娘に、相当な勇気を出して提案してくれたのだと察します。なぜなら漢方治療を始めて数カ月して、同じ話をしたことがあるそうです。でも、「私の信じている治療を否定するの?」とすごい剣幕で言い返したらしく、それ以来何も言えなくなったのだと、のちに母から打ち明けられました。自分だけでなく家族をも苦しめていたのだと申し訳なく思います。二度目の提案には素直に応じました。

すでに反発する気力も元気もなく、病院に連れて行かれ、そして言われるがままに入院。入院での治療はシャワーを浴びた後、その時の症状に合ったステロイド外用薬を塗る、これを一日二回行うだけの大変シンプルな治療でした。日を増すごとに現れる正常な皮膚。かゆみも症状に比例して緩和していきました。たった8日間の入院で人生ががらりと変わったのです。お化粧ができるようになり、半袖の洋服が着られる、人の目を見て笑顔で話せる、恋をしようと思えるようになる、アフター5を楽しめる…まとめていうなら〝普通の社会生活を送ることができるようになる〟まさに奇跡でした。

 ●希望に満ちた人生設計●

 人生が変わって早6年。その奇跡も今では当たり前になりつつあります。この6年間は暗闇のアトピー時代を挽回するかのようにチャレンジ三昧でした。好きな仕事に就き、そして結婚!結婚は一番のチャレンジだったと思います。なぜなら家事を今までまったくしたことがない状態で踏み切ったからです。というよりも「できなかった」と言うほうが適しているかもしれません。ひどかったとき傷だらけの手では料理をしようとは思えませんでした。洗濯ですらする心の余裕さえありません。そんな時間を長く過ごしてきた私が結婚です。それはそれは一大決心と言っても過言ではありません。料理教室に通い、みそ汁の作り方を28 歳にして習った日は、人生の出遅れを相当感じました。それでも普通に生活できる喜び。大切な人がいて、大切に想ってくれる人がいる。家庭を築くなんて想像もしなかったことが現実になりました。

そして、妊娠し出産。子育てを心底楽しく思える本当に幸せな毎日を今は過ごしています。幸いにも娘はぜんそくもアトピーも発症していません。もちろん毎日のスキンケアはしてあげていますが、アレルギー持ちの母親からでもアレルギーのない子どもは生まれるものです。たとえこの先発症しても、私はしっかりとした知識とノウハウを持っている自信があるので、何も心配していません。

 ●正しい治療を広める●

 他人の幸せ話はつまらないものです。ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。正しい知識を得て、しっかりと治療をすれば無駄な回り道をしないですむこの病気。私がそれを知ったのは、5年半もの年月をかけてようやくです。やはり『あの時代があってこそ今がある』と暗い過去を肯定したい自分がいます。あえてシンデレラストーリー風に記さないといられない気持ちが、心の奥底でまだあるのかもしれません。ボロボロの肌では恋愛なんてしようとも思えなかったし、希望した仕事も内定を辞退。どんなに今が幸せであっても、二十代という一番輝きに満ちた時代を、暗闇で過ごした日々には後悔が先立ちます。

日本にいる多くの悩める患者さん、そしてそのご家族に私の経験を少しでも知ってもらい、同じような日々を歩まなくとも治る病気だということを、これからも広めていきたいと思っています。